あとがき



思えば秋も深まり紅葉も見ごろになりかけたとき、岡山県新見市へ映画「八つ墓村」ロケ地として有名な「吹屋の里」へドライブしたのがきっかけでした。




(広兼邸)


後日、深酒が過ぎたのか見知らぬ映画に出てくるような古風な洋服を着た子供の夢を見ました。
吹矢の里の町並み再現がしてある一角に展示してあった昭和初期の雑誌のコーピーからの潜在意識からだと思います。

映画「八つ墓村」の存在を懐かしく感じるともにどんなストーリーだったか改めてネットで検索。
そのうち
「津山30人殺し」が原作モデルと知りました。
「津山30人殺し」??小さい時分、耳にしたことはあるけれども詳しい事件内容までは知らず、こうしてインターネットという情報提供で最近になって詳しく知ることができました。事件の内容をいろいろネットサーフィンして調べて行くたびに昭和13年と情報も収集もままならぬ時代の事件、興味も深々。。ネットから筑波本も知ることになり早速「文庫本」ですが地元書店にて購入、しだいにこの事件の真相に自分なりに妄想膨らませてのめり込んで行きました。
筑波本の読書も手伝い、この数週間「津山30人殺し事件」にとり憑かれました。仕事中はもちろんのこと寝ても覚めても、夢にまで出てくるほどの思い入れです。ただの、暗示に過ぎないですがひょっとして「睦雄」君にとり憑かれたような感覚です。それならばあまり真面目な歴史的角度からじゃないですけれど思うがままに肩の凝らないようなページ作りに心がけました。



この事件に関わった方より私のほうが早く死にますね??

よく
「人は二度死ぬ」とか聞きます。

肉体が消えても生きる者の記憶の中でまだ生き延びています。

だれ一人その人のことが忘れ去られた時に初めて死ぬことができるらしいですね。大半その繰り返しが多く、みな早死にだけれども。


この事件は私がこの世から死んで居なくなっても「睦雄」君は
戦国武将同様、歴史上後世に語り続けられ長生きすることでしょうね。


老若男女、この昭和始まって以来の残虐な大量殺人の「津山三十人殺し事件」を知り現地を訪れた人は時の流れとともに多くなってきているでしょう。

それぞれが
津山事件に関して色々な感想をもったと思います。
私ごときも幼稚な一個人の感性で事件の真相も知らず図々しくもネットで公開して非難の目で御覧いただいた方もおられるでしょう。
でも時代を超えてこの事件を現在の自分の価値観で考えたことは確かであります。








私が学習いたした加茂三十人殺しの記録書きです。











               最後に事件で亡くなった方々(犯人含む)全てのご冥福をお祈りいたします。


                                                                                                                                                                    合掌


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後日談


私は霊とか見たり聞こえたりは全く感じません。

この話しは現実にお寺に行き「お払い」を受けお布施一万円支払ったといういきさつ話です。




この日から2日後のことですいきなり聖二の態度が変わり変なメールを送ってきたのです。
以下メール内容


一回目
4月からは会えないんで 姉なんにも言ってあるが 南に戻る時は死んだ時と決め
てるし この1ヶ月 好きなことしてから死ぬ



二回目
最後ぐらい気持ちよく死なせろや 今月出ていくんだけ


三回目
来なくていい 死ぬから安土
にも行かんし




ここまでは返事もだるくて無視していたのですが返信しました。



↓私のメール

なんかようわからんけど、明日昼から行くね!死ぬなんて発想は貝尾で変な霊つけてきたな!?
いつものすたこい聖二らしくない、お清めしなさい。悪霊にとり付かれてる。PC切るからメールしても返事できんど^^!早めに寝る。




とっ、塩をフルくらいのありきたりな意見思いつきで送ったのですが



四回目
言い過ぎましたごめんなさい 朝の7時から8時半まで お寺で祈祷してきます





仕事から帰りみち聖二の所へ寄りましたがなんか違う。大人びて見える感じです。

聞けば昨晩いきなり会う約束もしていなかったお母さんが訪問、引っ越して2年間1度も家の中には入れたことがない聖二がはじめて招き入れて話しをしていたらいきなりお母さんがいきなり
「なんか憑いとるけえ明日お払いに行こう!」メールのこと、もちろん貝尾に行ったことやや津山事件のことなどお母さんは知りません。

次の朝6時に起こされ迎えにきてもらい二人でお寺に行き朝一で御払いしたそうです。
内容はお経と肩叩かれて後は前に似たような取り憑かれた人のお話しを聞かされたそうです。

そこの住職ではなくその奥さんに「自縛霊」が憑いてきていると言われたそうです。

もちろん本人は自覚がなく早く御払いが終わることと、お母さんが支払った1万円が欲しかったと考えていたと言っていました。

この様な偶然が重なると霊って見える人がいるんだとか思ってしまう!

それとも「女の感」は鋭いのだろうか!?






聖二のお母さんという方は風水とか霊症とかに人一倍熱心な方で一人暮らしの聖二の部屋にはあちらこちらにお母さんの所から持って帰ってきたグッツが飾ってあります。



本人はそれほど信心はしているようには見えませんが
小さい時はお寺参りや写経をよくさせられていたそうです。

だから少しお線香のあげかたとか変わっています。
あと、厭なことがあると平気で水晶とかキャツアイとか捨てるんで「もったいない!」と私がもらって帰ったこと多数です。




 


取材記録にも書きましたが聖二は前からこうゆう首が痛いとか、背中が痛いとかいきなり言うことがありましたけどいつもその場限りでした。
今回のような
「死にたい」とかはありませんせした。


霊が存在すれば聖二は取憑かれやすいタイプだが結局は自覚もなく対処できなかったみたいですね。


でっ、そのことがあった日にどこで憑かれたんだろうかと二人で検証したんです。

二人ともずっと車に乗っていて違う行動してのは倉見からの帰りのキャンプ場のトイレぐらい。
車を止めて聖二はトイレ(小)に行き用をしてたら個室の方で音がしててっきり私入って来たと思って見たけど誰もいなかったとの証言。

その頃は私はお外で「立ちション」しててなかなか出てこない聖二に「ウンコしとただか!」とツコンだぐらいです。
でもその時はなんでかトイレから出たくなく意味もなく手洗いの前にいたっそうです。





ここを少し行った所です


そのことがありなんでか私の気も変わり、

帰るはずがまた倉見にもどり「都井」さんに会いしお尋ねした写真のくだりに戻るのです。

(いつも男同士でつるんでカップルみたいですけど肉体関係はないですよ^^;
一人暮らしだから家には勤務と言いつつ嘘ついて部屋に行きやすいだけです)









っとまあHP作製のキッカケになった見知らない霊(子供)が夢枕に立ったのが新見市の吹矢の里に行った翌日(疲れていて変な
夢でも見たのでしょうけれど)。調べてみたら当時この津山事件にたどり着きました。
当時は睦君の代弁のような気持ちでHP作製してきたわけですがこれまで現地の情報があまりなく今回詳しく写真付きで載せて現地に足を運ぶ方も少なくなったと思います。



私のHP作成により、70年も前の事件の事なんか静かにして欲しかった睦男君をはじめ他の被害者の方の願いだったのかも知れません。
(私が歩いた記録を御覧になり現地に行く気を無くせれた!?)



私自信もあれだけ津山事件に熱狂していましたが私も今年の3月の終わりにお寺に行ってお経を聞いてから嘘のように興味が無くなり現在に至っています。今は貝尾方面には行く予定も気もありません。上記の聖二の事があってからこう私自信も霊に取憑かれたのかな〜とか半身半疑でした。お経を聞く機会がありそれからは飽きたわけでもないですが不思議と貝尾方面には行きたくなくなりました。私の役目も終わったのでしょうか?


アホみたいな余談ですけどお経を聞き出した数分後意識とは別に汗が引くような感覚になり方の辺り方から頭の方に抜けて行く感じ??でも全部出きらずにまた数分後には頭がぼ〜っとしてなんか抜けたって感じです。
お経を40分ぐらい聞いてたんですよ〜!(椅子に座った状態でしたけど)その後は説法で「釈迦」の教えの「明るく、楽しく、仲良く」を聞かせてもらいました。(会費は一万円でした)

そこの宗派は徳川のご紋があるから浄土宗かな?

私は霊の存在はわからないけどもし今回HPを作成させたのは睦雄君ではない他の誰かの気がします。


津山事件の真相を想像するのはかまいませんが地元、現地をふくめ現在の生活なさっている方々の迷惑にならないような心使いがやはり大切に思います。

私自身もHP製作散策中に地元の方々にいやな目で見られたのは事実です。とても有名な事件だけに70余年たった今もなお近隣地域住民は敏感に接している話題なのです。


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