「皆様、今に見てろでございますよ」


よく、「ネットから拾ってきた画像です」とかありますね!。

これは「津山30人殺し事件」に関する貴重な皆様からのパクリ文字です。
読み損じた方は是非御覧くださいませ。どれも時代の
生き証人の貴重な文章でございますよ。
(書いた記憶がある方勝手な引用お許しください。)









西加茂村とは

加茂川流域に明治維新ごろ
 青柳、山下、河井、物見、知和、小中原、塔中、宇野、斉野谷、戸賀、黒木、倉見、原口、行重、楢井、百々、中原、成安、小淵、桑原、公郷、下津川の二十二カ村が散在していた。これが明治二十二年の町村制施行によって上加茂、加茂、東加茂、西加茂の四カ村に統合され、大正13年に加茂村だけが町制。昭和17年に、加茂町と東西の加茂村が合併して加茂町となった、戦後の昭和26年にもとの加茂町だけが分離して、新加茂町として独立したが、29年に加茂町と新加茂町に上加茂村が合併して、新たに加茂町が誕生しました。 津山事件が発生したのは、西加茂村が独立して存在していた昭和13年です。


70年目の新証言



【こらえて】津山30人殺し【つかあさい!】十二軒目より

54 :本当にあった怖い名無し:2009/11/26(木) 11:47:52
>>46
日本特有のムラ社会に起因する
結核に対する偏見がこの事件結果の最も大きな背景
夜這いは傍系の間接原因でしかない


55 :本当にあった怖い名無し:2009/11/26(木) 12:54:55
>>54
集団心理の怖さや村社会の陰湿さが見えてくる事件ではあるね。
ムッチーを女狂いで極悪非道なだけの犯罪者と切り捨てられないのもそこにあるな。
犯罪史に残る大量殺人犯、猟期殺人犯は他にもいるのになぜかこのこらえてつかぁさい事件にばかり惹かれる。


56 :本当にあった怖い名無し:2009/11/26(木) 13:37:02
>>54 襲われた家の人間の中には結核について知らなかったと話してる人もいる。
ムッチーの遺書だけを信用するのも違うだろ。
大体筑波本の寺井まつ子は万袋医院に睦雄の代わりに薬を取りに行ってたりしてるし、
結核だと認識した上で夜這いを受け入れているのもいる。
村社会云々ではなくて、これは痴情のもつれだろ。


58 :本当にあった怖い名無し:2009/11/26(木) 14:54:54
加茂あたりは、12月過ぎると結構雪が降るし夜は路面が凍結するので
車で訪問する人は注意。


266 :市松:2009/12/19(土) 18:50:08
荒坂峠体験された方も多いいと思いますが。雪が降ったら絶対、絶対、春まで通行できませんよね。
オフ会でもし行くことがあればお地蔵様の上のムッチー最後の現場見てみたいです。一人だとなんとなく怖いので^^;


283 :市松:2009/12/27(日) 07:28:47
>>282お風呂もシャワーも不便な頃の行為は僕は今じゃあ考えられないタイプです。
ムチーも近所の盛りのついた猫のようなイメージで筑波本には書かれていますが調書よりの後半は分かりやすい総作物語でしょう。
生理の描写なんかも絶対見たわけでもないし!!昔はエロ、グロ小説が多かったからそれを読んでいた昭氏のなごり小説。
みな様もご承知でしたね今更言わんでも。 ゆるしてつかあさい。


287 :本当にあった怖い名無し:2009/12/29(火) 14:38:35
筑波本の台詞は岡山市内弁に近く、津山弁、加茂も微妙に違いますね。全国の人に読みやすくしているんでしょうか!?
http://s1.shard.jp/sizimikaikann/tuyama4.html
津山事件の本クリスマスに買って読み上げました。↑内容は興味深いですが不謹慎なサイトです。
せめて画像は大きくなるようにしていただきたい(見てもわけがわかりません)。


329 :本当にあった怖い名無し:2010/01/10(日) 01:16:37
>>323>>324
ここにいらっしゃる皆さんなら、私が語らなくてもよく知っていることだと思います。
事件直後の現場の悲惨な状況など…。あまり話すと、身元もわかってしまいそうですね^^;

昔は、お葬式をする時の白い着物を同じ村の人が手縫いで作っていたそうなのですが、
亡くなった人数があまりに多いので、祖母も含め、近隣の村の女性が手伝いにいったらしいです。
祖父は現場の処理に行ったのだけど、その光景が強烈すぎて、目に焼き付いて
しばらく肉は食えなんだと言ってました。

私自身は、この事件にあまり関心がなかったのですが、あんな山奥の田舎が、
こんなところで話題になってるなんてびっくりです。
む、ムッチー?
オフ会??ってなかんじです。


331 :本当にあった怖い名無し:2010/01/10(日) 03:54:43
>>329
>あんな山奥の田舎が、 こんなところで話題になってるなんてびっくりです。 いやいやいや。
ここのスレ住人にとっては貝尾はエルサレムみたいなもんで 聖地なのです。
数多くの方が巡礼に訪れていてる場所でもあるのです。















岡山県の津山30人殺しの情報求むより

33 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 02/01/17 02:40
昭和13年5月25日付の朝日新聞岡山版では 坂本部落を紹介した記事を載せているが、そこには
無邪気に遊んでいる子供たちやのどかな農村の風景 の写真が掲載されている。
それはこんな虐殺事件があった直後の村にしてはあきらかにそぐわない風景である。
                                |    7
                 _,,.. -──- 、.._     |   ./
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            /                  ///
      ,,.. -─- 、/                    /
    ,.‐'´ _                         ゛i、
 ∠ ‐ '"´/                          i
     ./                                 |
    ./    ,.イ                        |
   .l    //      ,イ ,1    |ヽ     ト、      !
   i   ./  i  ,   /l / l.l !  、 ト、゛i ,ヘへ、l ヽ.ト、|、 /
   l.  /  .|  /|  /-|←┼‐l、 ヽ ト、!, -─ヽ|─!-l、i /
    ! l   l | ! |、`';:‐-_、._ ヽ、l\l-i'   _,_-='、"~! i"ヽ
.    ヽ!     ヽ|,/l゛、! l(  (80j` l──|. イ80)  )l.  | )|
          l.(l  l ー-‐'   ,!   l、`゛‐--‐' l  /"ノ
          ヽ ヽ、._l_   _,.ノ  〈>  ヽ、._   _.l_//   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ヽ、.__,l  ̄     __     ̄ /、‐'´    |
               `‐ 、         , ‐'´‐-ヽ    <  津山30人殺しの犯人は
                _ ./l` ‐ 、. _,. ‐''"!\         │ おまえだ!
            _,,.. -‐'ヽ ̄ヽ,-、シ ̄//  |`‐- 、.._      \____________
           / i  / /_ 7`‐゛\__.\.  |     i ヽ、
             / l  /   | /||\ / ̄   !   |  !

52 :本当にあった怖い名無し:2009/08/04(火) 14:29:57
同僚の奥さんが貝尾近くの出身なんだが、ムッチー亡霊等様々な伝説があるとの事だ。
ある家には当時から残る物置や庭木にダムダム弾の後があるとも言っていた


256 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 02/02/21 15:34
>254
「ダークサイド」2001年10月号です。
地元の方のインタビューによりますと、4〜5年前に亡くなられ、 亡くなる直前まで元気に食堂を営まれていたとのこと。
犯人の姉であることをまわりは知っていたが、 本人は明るい人で気さくに振る舞ってはいたものの、 事件の事は全く話さなかったそうです。


265 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 02/02/21 17:15
>>261
折れが子供の頃は岡山市内でも街はずれではフツーに犬を食ってた
みたいだぞ? 赤犬はやっぱり旨いなんてよく聞いたよ。 子供心に俺も食べてみたいなーと思ってた。





















【こらえて】津山30人殺し【つかあさい!】九軒目より

24 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/05/16(金) 21:40:23 ID:0kBIFW
遺族が、人を恨む奴は人間のクズじゃ、といった言葉は深いね・・・



25 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/05/16(金) 22:34:20 ID:HUGggDkW0
俺も立ち読みしてきた。
ムッチーの墓石がただの石ころ・・・
事件後ムッチーの姉さんが香典持って皆のところ行ったが
誰も受け取らず(当然ちゃ当然だよな)って、姉さんますますカワイソー
そしてこの記事の男性の奥さんは
たまたま里帰りしてたばっかりに被害にあってしまったんだね



30 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/05/17(土) 00:28:50 ID:7Y0
今回の記事に登場したのは良子さんの旦那か。
そして良子さんを村に戻るように誘ったのが千鶴子。
一家全滅でただ一人生き残ったタマばぁさんが真っ白い顔で半分逝ってる目付きでニヤ〜っと・・・。

村で一番の勝ち組、倉一先生はその後どうなったんだろ。





152 :本当にあった怖い名無し[]:2008/05/21(水) 23:49:48 ID:5+1Z5Rvq0
亀レスになるけどよく言われている「ダムダム弾」は何かの間違いで
正確には「スラグ弾」
散弾銃で撃つための1発弾で、ミニトマトぐらいあるデカイ鉛弾なんで
かなり凄い威力がある。
これで腹を撃たれたら内臓がごっそり飛び出す。


196 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/06/08(日) 03:22:20 ID:vzEA0
京都に逃げた女が、事件が起こるのを知っていて(都井から聞いてた?)
事件の次の日に、新聞社の人間引き連れて里に帰って来たっていう噂は本当なんだろか?
それで、被害者全員の名前と写真が早く判って新聞用に用意できたのだとか。





266 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/06/17(火) 02:07:41 ID:f6XGXFTU0
山岸凉子「負の暗示」によると、
ムツオは過去に関係のあった岸田栄子42歳と会話中に
姉に似ている寺山よし子のような女が好みだと言った。

ムツオは世間を甘く見ており、これで誰かがよし子との仲を
取り持ってくれるだろうなどと考えたが、逆に岸田栄子は
友人の西川須磨子にこの件を話し、須磨子はよし子と
隣村の男との縁談を急ぎとりまとめた。

同時に栄子と須磨子はムツオと交際していた寺山みゆきに
ムツオはよし子が好きだったと話した。
怒ったみゆきはムツオの幼馴染である丹波隆の所に嫁入りした。
ここに及んでムツオの村の女への疑心暗鬼は一層高まった。
とあるよ。(登場人物は仮名)








405 :本当にあった怖い名無し[age]:2008/07/21(月) 14:37:09 ID:tpVCq0
結核を理由とした自殺の前の逆恨みによる連続殺人でしょ。
遺書を書くために筆記具を借りた集落の人には一切危害を加えていない。
ただ死ぬ前に歴史に残る大罪を犯したかったということでは加藤と似ている。
しかし無差別殺人ではない。関係の無い家族には手をかけていない。礼儀も尽くしている。
脈絡はしっかりある。誰でもいいという事件ではない。30人の犠牲と死体の損壊状況が異常なだけ。




413 :本当にあった怖い名無し[age]:2008/07/21(月) 15:18:53 ID:SaVCq0
当時の結核の宣言は死と同じ。栄養状態が悪い人だけが死ぬわけではなく、村役場の職員であっても中国銀行の職員であってもかかったら死ぬような状況だった。
死の宣言だから、それに当時の阿部定以上の事件を起こして死のうという発想がプラスされても不思議は無い。
道連れ的な要素は否定できないが。家人の誰かには深い恨みがあった。子供や使用人は道連れの要素が強い。
精神が高揚しての殺人だから遺書には反省も当然含まれる。







【こらえて】津山30人殺し【つかあさい!】拾壱軒目より

120 :本当にあった怖い名無し:2009/08/13(木) 17:53:09
数年前に遊び半分でココ行ったけど、地元民にむちゃくちゃ怒られた。 道迷わんよぉ気ぃつけてつかぁさい。


130 :本当にあった怖い名無し:2009/08/15(土) 22:05:19
>>128
どういうガセネタだ。 お姉さんは1995年頃亡くなってるよ。
津山市内でうどん店を営んでた。









●●●●●●津山30人殺し●●●●●●より


207 :日本@名無史さん[sage]:04/03/23 01:38
地元では「津山30人殺し」じゃなく「加茂の30人殺し」って言われてます。 (来年から津山に合併されますから晴れて津山30人殺しw)
高校に行ってから加茂の連中と付き合うようになりましたが この事件の件は親から絶対に聞くなって言われてました。
殺された方の親戚に当たるやつが多すぎるから誰と話してもその話しは しなかったな〜
親父は結構よく知ってるらしいけど今はまだ全部は教えてくれません。 死ぬまでにはよく聞いてみたいです。


718 :山本栄治[]:2008/07/22(火) 11:27:57
洋泉社の最新の殺人事件の本 によると、都井は肺結核ではなく、 肺カタルと診断されて、兵役を 落ちたらしい。
それを、村人達が肺結核だと誤解 して疎遠にしたらしい。 本の名前は失念したが、今でも本屋 に売っている。
事件の数日前、村を歩いている都井が 「皆様、今に見てろでございますよ」 と独り言を言っているのを、数人の 村人が目撃した。










津山30人殺し事件より

79 名前:昔話 投稿日: 2004/11/15(月) 18:53
この事件のことを、何回も父親や叔父達に詳しく聞いた事があります。
明方半鐘が鳴り、祖父たちが山狩りに出かけた事や、風穴の開いた死体、都井の自殺現場、(何かにもたれて膝の上に猟銃があり、死んでいるのか、寝ているのか判らなかったそうで、石を投げつけたり、棒でつついたりしたそうです)
都井の生い立ち、当時の結核患者に対する地域意識などなどの話の中で動機と言う点で、皆一様に


81 名前:シアン 投稿日: 2004/11/17(水) 13:48
昔話さんはとても貴重なお話を聞かれたのですね。どのように自殺したまでは書物にも書いてありますが
どんな格好で死んでいたのかなど初めて知りました。生きているか死んでいるかわからないと言うのは暗かったからでしょうか
それとも血が出てなかったのでしょうか。


82 名前:昔話 投稿日: 2004/11/17(水) 14:51
近づけば当然判るのですが、林の中で、見通しが悪く都井らしき者が横たわってる程度しか最初は判らなかったみたいです、武装した凶悪犯ですから、いつ撃たれるかも知れないので恐ろしくて皆、声は掛けても、なかなか近寄れなかったみたいです。
今でも津山警察に犯行時都井が着ていた装束一式を、展示してあると思いますよ。また、加茂周辺には当時の事を覚えている人は、かなりいるので1度足をお運びになればいかがですか?拒絶される事はないと思います。八つ墓村の出演者も加茂の役場に
話を聞きにこられたそうですし、テレビで30人殺しの番組があった時も現地の映像を撮影してましたから。


102 名前:えふ 投稿日: 2005/04/20(水) 19:31:48
どなたか書いてらしたらすみません。
ビデオ屋に行ったら、「マーダーファイルX 津山30人殺し」というのを見つけたので借りてきました。
ドキュメントを元にしたドラマという設定なので、作品本編はちょっと「?」という部分もあったのですが、
都井の写真(私は当時の新聞等見ていないので真偽の判断はできませんが)や墓、貝尾集落など映像で見られました。
また(本人かどうかは確認するすべがないですが)当時子供だった都井の親類へのインタビューなどがありました。
見ている時に半信半疑で見た方がいいのかも知れない作品ですが、参考までに。












津山三十人殺しより

161 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/12/13(木) 21:33:12 ID:???
戦後、岡山県警察がデパートで開いた防犯展でこの事件を知ったらしいな横溝は…
当時の警察はなに考えてんだろうか…。遺族とか居るのに。 事件と関係のある物見と一宮に行ってきました。当時の古い新聞を調べ、住宅地図をネットで購入し、物見の上村(寺川)ゆり子の自宅を拝見しました。
偶然にも彼女と思われる老人が出てきましたので、失礼かと思いましたが望遠で撮影させていただきました。カメラをかなり気にされていましたが、年恰好からいって当人である可能性が高いです。
また、一宮の睦雄の姉の嫁ぎ先も訪問しました。こちらでも偶然、70前後の男性が出てきました。中島みな子さんのお子さんでしょうか。しばらく鳥居の前におられましたが後に家に入られました。
また、若奥さんと2〜3歳の子供も出てきました。綺麗な方でしたが、みな子さんのお孫さんでしょうか。車でどこかに行かれました。さすがに至近距離だったので写真は無理でした。ただ70前後の男性は後姿だけ撮影させていただきました。
事件から70年。それぞれの人生があるのだなとつくづく考えさせられました。被害者は当然ですが、加害者の家族、祖母やみな子さん、そして父母が可哀想で仕方がありません。睦雄の父母も結核で亡くなったそうですが、小さな子供(睦雄やみな子)を残してこの世を去ったのはさぞかし無念だったことでしょう。山奥の大正時代の倉見。寂しい村落でひっそりと亡くなった父母。
ストレプトマイシンなどの抗生剤さえあれば昭和40年代まで生きられた筈です。テレビなどの娯楽、おいしい豪華な食べ物、自動車や新幹線に乗っての旅行、今の人なら普通に経験していることをなにも知らずに亡くなった父母。その父母を慕って死んでいった睦雄。
殺人者の弟をもったみな子さん。睦雄を溺愛した祖母。皆さん冥土で寄り添って暮らしていることでしょう。




こらえて】津山30人殺し【つかあさい!】八軒目より

137 :本当にあった怖い名無し[sage]:2007/12/12(水) 10:27:17
>>136
事件直前に別の男に嫁いだ寺井ゆり子は、事件後ほどなくして子供を産んでいる。 そのため、その子供がムッチーの子供じゃないかという噂は当時から近隣でささやかれていた。


139 :本当にあった怖い名無し[sage]:2007/12/12(水) 12:24:24 ID:Vz8A7pAh0
でも寺井ゆり子が事件後近隣の人から反感(やっかみ)をもたれていた可能性は
高いかも。  よく思われてなかった→彼女がいかにも悪い人のように語られてしまう?みたいなことも、、 あの事件では関係なかった寺井茂吉宅に逃げ込んで、自分は助かって、 86歳のじいさんがとばっちりで殺害されてしまっているし。
その他丹波卯一との件や再婚相手が戦死云々の件考えても、非常に要領がいいというか、 うまく生きてるんだけど、反面「あいつばっかりうまく立ち回って」って反感を持たれる要素がたくさん。。。


147 :本当にあった怖い名無し[sage]:2007/12/13(木) 21:19:43 ID:tJtIBl2yO
確か、横溝がこの事件を知ったのは、 昭和22〜3頃に岡山県自治体警察(当時)が岡山のデパートで開いた防犯展だったらしい。
…つうか、関係者はまだバリバリ生きているのに、犯人や被害者の写真を晒したり、事件当時の犯人のマネキンを置いたりする。
当時の警察関係者を小一時間問い詰めたい。

8 :本当にあった怖い名無し[sage]:2007/11/09(金) 12:42:27
筑波本にしても松本清張にしても、被害者は全部仮名だよ。
ムッチー本人を除く。(「都井睦雄」は本名)
名字だけなら構わんだろうから書いておくと、
被害者たちの本名は寺元(→筑波本での仮名は寺井)、
難波(→丹羽)、西山(→西川)、岸本(→岸田)、池田(→池沢)、岡田(→岡本)って感じ。


112 :103[sage]:2007/12/07(金) 11:26:44
毎日フォトバンク
https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php
で、キーワードを「都井」と入れて検索すると、以下の3枚の写真が閲覧できる。

岡山の山村貝尾部落で大量殺人の現場検証
岡山西加茂村の30人殺し・疲労の警察官ら
都井睦雄に殺された遺体に手を合わす遺族


357 :本当にあった怖い名無し[]:2008/01/16(水) 13:38:50
>>112

>都井睦雄に殺された遺体に手を合わす遺族

手を合わしてる4人って、9番目に襲われた家の生き残りだろうね。
母親(33歳)と1番下の弟(4歳)と爺さん(73歳)と婆さん(71歳)が殺された家の。
無傷で生き残った次男(11歳)・三男(8歳)と、伊勢に修学旅行に行ってて
助かった長男(13歳)。いち早く逃げ出して助かったお父さん(36歳)。
4人が殺害された現場にいながら、何故か無傷で生き残った2人の男の子は
都井のお話しを聞きに行ってて親しかったから助かったのではないかと推測。

>>121-123
多分、その1番最初の写真は、外まで逃げて軒下で絶命したこの家の爺さん。


704 :本当にあった怖い名無し[]:2008/03/22(土) 22:16:21
文献を読んでも分かるように、非常に探究心や好奇心が旺盛だったように思えます(阿部定事件に執着したり)
なので、自宅に引きこもる反面、自分の興味のあることには、自ら行動してたのではないでしょうか。
私は、この事件に今はそれほど興味はありませんが、事件の存在を知った当初は、文献等を読みあさってましたね。
小学生だったし、現場まで足を運ぼうとは思いませんでしたが、父親に大学図書館に連れていってもらって
松本清張のミステリーの系譜を読んだりしてました。そんな私も、もうすぐ都井の犯行当時の年齢を越してしまいます
しかし、皆さんはこの事件を初めて知ったとき、衝撃を受けませんでしたか?私は、八つ墓村は
知っていましたが、当時この事件の存在が半信半疑に思えました。あと、筑波昭のハードカバーの本(表紙とか犯人の写真)が
怖くて、購入できなかったし、その夜は眠れませんでしたね。
祖母とかは事件当日の夜、夜明け頃ですが、母親に妹と弟と一緒に押し入れにかくまわれたそうです。
それから、祖母の父親は都井捜索のため、山狩りに参加したとか、捜索した村人の一人が
自殺した都井を発見したとき、石を投げたり、棒で突いたりして生死を確認したとか、聞きましたね




こらえて】津山30人殺し【つかあさい!】七軒目より


532 :本当にあった怖い名無し[]:2007/08/05(日) 11:37:03
あと家の写真をやたらに撮るのもやめてほしい。きっと「被害者の家かも」と思って撮るんだろうけど。


533 :善人 ◆QkRJTXcpFI [sage]:2007/08/05(日) 12:34:00
あの事件の後、廃村になりかけたらしいのですが今は平穏です。
私の
先祖も2名殺害されました。
そのお蔭?で私が生まれたので睦雄に対する思いは複雑です。


534 :本当にあった怖い名無し[]:2007/08/05(日) 14:51:05
家の中照らされたら迷惑だし怖いね。


538 :善人 ◆QkRJTXcpFI [sage]:2007/08/05(日) 16:18:20
この事件は実際に起こりましたよ。
昔から隠されるようにされてますが、語り継がれてきました。
犯人は睦雄単独です。この事件が起こる以前にも脅迫まがいの事を行っていたようで、いつか何かの事件を起すかもと思っていた人もかなりの数居たようです。
機嫌が悪いと道から急に怒鳴られたみたいです。
対抗手段で猟銃を購入しようとしていた人もいたみたいですが、まさか村を壊滅状態にされるとは思ってなかったでしょう。
肺病といっても山に鳥を撃ちに行ったりしてたので体力の不安はないはずです












たかが歯医者、されど歯医者より

「八つ墓村」外伝。岡山県警の「犯罪展」
<< 作成日時 : 2007/07/03 11:36 >>

「八つ墓村」は横溝正史のまさに最も著名な作品であり、映画にもTVドラマ化も
何回もされている。その執筆の動機の根源は知られる通り坂口安吾の「不連続殺人事件」にある。
「殺人事件の真の動機を隠蔽すための殺人」。「不連続殺人事件」を読んだ正史が「本職の推理作家の意地で『俺ならもっとうまく書ける』」と思い、挑んだのが「八つ墓村」であった。
だから金田一耕介は何か遠景に退いた感のある異質な作品ともなった。また横溝正史は「本陣殺人事件」に始まる「夜歩く」、「悪魔の手毬歌」、「獄門島」また最晩年の「悪霊島」とともに「岡山もの」のひとつであり、代表作でもある。横溝正史は神戸の生まれだがその父親は岡山県の出身である。「横溝」という姓は岡山県船穂町(現倉敷市船穂町)や玉島(倉敷市玉島)」の名前である。だから疎開も船穂の北に隣接の真備町岡田村字桜に居住したわけである。正史の奥さんも船穂町出身である。終戦後、第一作が金田一が清音駅から高梁川を渡る川辺橋を歩いて川辺の地(真備町川辺:現在は倉敷市)の旧本陣での事件解決に関わる「本陣殺人事件」だっ
た。ここで「八つ墓村」に出てくるあの「津山30人殺人事件」にヒントを得た大量殺人事件はあまりに有名である。「八つ墓村」本来のモチーフよりも遥かに知られてているといえる。これも「八つ墓村」の構築の重要なファクターとなった。

終戦後も岡田村に居住して執筆を続けていた正史が岡山市の百貨店「天満屋」での岡山県警主催の「犯罪展」において昭和13年(1938年)5月に県北の西加茂村で起こった30人殺人事件の資料の写真などを見て驚愕したことはよく紹介されている。戦慄の写真を見たのも,もうひとつの「八つ墓村」執筆の動機になったのである。だが、この「天満屋」での残虐展示が実は当時、岡山県警によって県内各地で展示された戦前の県内での殺人事件の展示のひとつに過ぎなかったことを知る人も少ない。戦前のオイコラ警察から戦後の民主警察への脱皮をアピールする名目で岡山県警は通常では考えられない殺人事件の残虐資料の展示を各地で開催していたのである。

くしくも「本陣殺人事件」の川辺(かわべ)宿の西隣の宿場の矢掛(やかげ)でも犯罪展が行われた。それは多聞寺(たもんじ)という、十年以上前だったか、NHKで放送されていたが大阪の落語家さんが婿養子に来ていた。そこでの犯罪展は昭和23年ごろと思える。天満屋の「津山30人事件」の写真とかその使われた猟銃、日本刀の展示,都井の殺人時の姿を模した人形ではなくそのもぞズバリの展示であった。それは戦前の殺人事件で切断された女性の生首のアルコール漬け展示もあったという。日本髪に結った髪がほつれてアルコールの
中を舞っていた。目は見開かれたままで殺人時の凄惨さが如実に現れていた。これを見に行った母はその気持ち悪さに暫くはうなされたそうだ。普通はこんな展示はあり得ない。だが終戦後のドサクサという特殊要因がこのような展示会を可能にしたのだ。

正史が見たのもその一環のものであったわけだ。「死体」の実物はなくともその残虐展示は察しがつく。「八つ墓村」執筆にいたる知られざる側面である。




岡山の心霊・オカルトな話題満載なスレ より

661 名前: 655 投稿日: 02/04/24 12:15
>649
確認はしてませんが廃村にはなってないと思います。 津山市内には猟銃を購入したお店が最近までありました。
当時は猟銃購入は簡単にできたそうで(当たり前といえば当たり前ですが・・・) 怪しまれることがなかったそうです。
しかし、購入時に店の主人に「熊でも撃つのかい?」 と訪ねられたらしい。
そりゃそうだろう。今でいう「ダムダム弾」だからねぇ・・・ この話は、当時、事件を担当した刑事さんの手記に書いてあったものです。
長文スマソ





要蔵生活より

2008年05月13日
実録「八つ墓村」事件70年目の新証言今日発売の週刊朝日に載ってます。津山事件の起きた村の、隣町に住む90代のじいちゃんに、当時のことを聞いてます。奥さんをあの事件で亡くされたとか。「睦やんは器用な男でな。普段から電気が切れたら直してくれとったそうじゃ。その日も『電気がこんで?』って、みんなが睦やんを訪ねたくらいじゃ」とか虫の息の老婆がニヤ?ッと笑った話とか、興味深いエピソードがたっぷり語られてます。ちなみに今年の5月21日で、ついに70周年となるわけです




ワーストブログインジャパンより

2008年05月13日
私は如何にしてクヨクヨするのを止めて宴会を愛するようになったか昨年から今年にかけて女がらみでショットガンを持ち出してぶっ放すお兄さんや、経済的な理由で進学を断念させられた挙げ句了解不能な凶行に及ぶ餓鬼が出ました。こういう人たちはあまり後先の考えというものがなく、バレないように工夫しようとか、きちんと逃げようという形跡が見られません。刑務所上等、死刑上等な人たちですから困ったものです。金もいらない、名もいらない、命もいらないという奴ほど始末に負えない者はいません。
こういう人たちに「国家の大事」を任せる、というのもなかなかゾッとする話しですが、金も名も命も惜しいという連中が特に悪気もなく他人を死ぬに任せるのが今の政治の現状です。悪気のない方がよっぽど恐ろしいような気もしますが、どっちにしても死ぬのはこっちなのですから大差はないようです。

まあ、こういう「割り切った私たち」の大先輩だと思われているのが津山三十人殺しの都井睦雄君でありますが、『週刊朝日』の5月23日号で
実録・津山30人殺し「八つ墓村」事件70年目の新証言なんてやってますので、見た人もいるでしょう。これは「隣町に住む90代の男性Aさん」こと、筑波昭の『津山三十人殺し』では「東加茂村桑原の農業只友登美男」とされている人物の「新証言」です。

以下「筑波本」に従いますが、「登美男」さんは22歳の時に隣の地区から嫁をもらいました。その嫁の実家が都井君の近所だったのです。この「嫁」というのが「西川秀司」方の長女「良子」さん(当時22)。都井は自宅から始めて3軒目にこの家を襲い、「良子」さんの母親「とめ」さん(当時43)をはじめ一家4人を皆殺しにしています。
「只友登美男」さんに嫁いでいた「良子」さんがこの日帰郷していたのは、母「とめ」が風邪を引いた見舞いとも言われていますが、夫の「登美男」さんによれば、結婚して3ヶ月ほどたった5月20日、「登美男」さんの妻「良子」さんの友人である同郷の女性が、「弟が結婚したから、祝いをかねて里帰りする」から一緒に帰らないかと誘ったといいます。

この女性が「寺井ゆり子」さん(当時22)です。「ゆり子」さんは都井君のいわば「本命」ということのようですが、都井君によれば「良子」さんとも「関係」があったとのことで、たまたまこの日2人が里帰りしていたのが犯行のきっかけとなったといわれています。「登美男」さんもこの日は「良子」さんの実家に誘われたのですが、「どうにもたいぎくて行く気にならんかった」ので行きませんでした。もっとも妻の実家に行きたがる夫も少ないのですが、「登美男」さんは危ないところで難を逃れたというわけです。

なお、「登美男」さんは「良子」さんと都井君の関係について否定していますが、夫ですからそう言うのも無理もありません。その一方では「ゆり子」さんについては、彼女が嫁に行く時に都井君が茅を積み上げて通せんぼしたという話しをして、2人の「関係」を強調しています。
「ゆり子」さんは都井君を振ってこの年の1月に同じ部落の「丹羽卯一」と結婚しましたが、都井君がこれにも夜這いをかけるので3月に離婚しています。5月には上賀茂村大字物見の「上村岩男」と再婚していて、この度の里帰りは再婚してから2週間目ですから、これは土地の習慣に習ったもののようです。「通せんぼ」の件がどちらの結婚の際のことであったか不明ですが、いずれにしても70年も前のことであり、「登美男」さんもこれを伝聞として語っているようですから、どれほど当てになる話しかはわかりません。

実家に帰って来ていた「ゆり子」さんは都井君の襲撃を受けて直ちに家を脱出し、既に惨劇の舞台となり終わった「西川秀司」方へ向かいますが、途中で転んで「寺井茂吉」方へ逃げ込みます。この家は都井君の襲撃計画に入っていなかったのですが、「ゆり子」さんを匿ったために襲撃の対象となり、「茂吉」の父「幸四郎」が射殺、四女の由起子は大腿部に銃創を負います。都井君は襲撃を諦めて次の家を襲いに行きましたが、また襲ってくるかも判りませんから、この家の人々と「ゆり子」さんは床下に隠れて難を逃れました。
ところが「登美男」さんが今回語ったところによると、都井君は「おまえを残しちゃいけんのや!」と言って、床下に隠れた「ゆり子」めがけてバンバン撃ち込んだようです。その際「ゆり子」さんの喉元を銃弾がかすめ、擦過傷を負わせました。


多数の文献においてこの傷については述べられていないものの、西村望の小説『丑三つの村』には、「ゆり子」さん(小説では「やすよ」)が床下に隠れる前に「のどのあたりを射たれたらしく、しきりに素手で血を拭いている」様子が描写されていますから、怪我を負ったことは確かであると思われます。傷そのものは大したことはないようですが、「登美男」さんが言う通り「もう少しずれてたら即死」というところだったのです。「全ての原因」のように言われがちで、「登美男」さんにとっても「良子」さんを里帰りに誘って殺される原因を作ったのですから悪印象を持っているわけですが、この「ゆり子」さんはたしかに「運が強い」ようです。山岸涼子さんははっきりと「悪運が強い」と書いています。
この「ゆり子」さんという人は、ちょっと興味深い人物であると言えるのですが、西村望の小説を奥山和由がプロデュースして映画化した『丑三つの村』という映画では、この「ゆり子」にあたる「やすよ」の設定が大幅に変更されていますので要注意です。床下に隠れたりなんかしないのです。そればかりか事件の最中にいかにもおかしな登場の仕方をします。

ともあれ、この記事の中では都井君が事件の1時間前まで自宅裏手のお堂で村の若者5、6人と宴会をやっていたという話しがありまして、これは初耳でした。家でおとなしく計画を練っていたか、いろいろ考え込んでいたものとばかり思っていたのですが、みんなでお酒を飲んで、それからしっかりと準備を整えてから大殺戮に取りかかったというのです。何だか豪放な感じがしますが、「結核」で線の細いような印象とは裏腹に大虐殺をやってのけ重装備で山道を駆け上がるという「睦やん」は、やっぱりちょっと判らん奴です。



日本の最悪な事件より

12 名前:聖 投稿日: 2005/4/15(金) 13:53
》4
倉見では都井は悪い犯罪者ではなく引っ越した貝尾の住民に村八分にされ殺意に走っただけで倉見の誰もが同情している。
死んで仏様になったものには罪はつぐなえないし地元に都井一族も健在だし地域仲間として悪人呼ばわりはできない。

134 名前:無題 投稿日: 2005/4/15(水) 08:52
ゆり子があの時殺されてなくていままで長生きしているのは睦雄のたたりで「責め」の生き地獄を見せられている!
ゆり子を見守っている睦雄もゆり子が亡くなるまで成仏できていないんちゃうゃろか?


209 名前:無題 投稿日: 2008/09/15(木) 16:51
新証言のお堂で睦雄と宴会していた人は当時の証言が残っていないからその後襲撃されてるみたいだね。
皆殺し〜!皆殺し〜!

210 名前:無題 投稿日: 2008/09/15(木) 23:12
↑証言したおじじも当日は見ていない人からの聞き伝えだから事件当日のことかどうかもわからい。
あやしいな〜?それに90歳だし○ケかげんな感じ。確かな情報なら当時他の人も言うはず?も〜、証人もこの世にいないか〜。




昭和の噂、真実より

9 名前:無題 投稿日: 2005/14/15(月) 20:33
睦ちゃんの遺体は数人で倉見に連れて帰られ本家に引き取られ本家に供養されている。


283 名前:無題 投稿日: 2005/14/15(火) 18:43
>>278
夜這いっていっても家族が夜には帰ってくるから「昼這い」が多かったんじゃいかな(普通は?)
ま〜っお外に出てすればいいか〜な〜。

313 名前:無題 投稿日: 2005/09/15(日) 22:53
山狩りの集合の合図の半鐘の鐘鳴らしたのはうちの親父の叔父さんです。(ややこしい^^;)
ちなみに僕が小学生の頃もう亡くなってしまいした。

328 名前:無題 投稿日: 2005/10/24(月) 23:12
半鐘って昔火事のときに鳴らすものじゃあないの?鳴らしたら火事だと間違えられるぞ〜っ。




昭和の事件簿白書より

24名前:無題 投稿日: 2006/10/05(月) 04:53
若い時に現地に行ったことがあります。村中お墓が多く、墓の中に人家が建っているようなイメージでした。
あと、村中で対向車がきて車をバックしましたけど道が狭く何度も切り返しして汗かいた思いでだけ残っています。


126 名前:時雄 投稿日: 2006/11/25(火) 20:23
>>112
僕もレンタルして見ました。丑三つの村はただの昭和のエロビデオです。
エロも最後の残虐シーンもどちらにしろR指定だから一粒で二度美味しいが売りだな。

149 名前:無題 投稿日: 2006/12/28(木) 23:46
事件の時の服装一式はまだ「津山警察」に保存されているそうだ!
鶴山公園の下の資料館でタダで公開しろ!税○泥棒!!

209 名前:無題 投稿日: 2007/01/15(月) 14:07
「30人殺し」は地元だけど津山市民は100パー知ってる「井森美幸に全部!」っうくらい絶対浸透している。
○落問題よりも口にする時は小声で話す傾向がある。
小学生のとき先生から初めて聞いて家に帰って家族に話したらみんな知っていて今まで仲間はずれにされた気分だった。



「事件」
津山事件: 都井睦雄の墓 その3よりより
無名人 より:


私も去年、睦雄さんのお墓を訪れました。そのときの祖父母のお墓も拝見しました。墓の規模といい、裕福な家庭であることは戒名(院居士、院大姉)からも想像のつくところです。睦雄さんのお墓は間違いなく仰せのとおりだと思います。しかし、都井家には石を置いただけの墓が数多く存在し、どのお墓かなかなか判別できないのが現状でしょう。これは、乳幼児や幼くして亡くなった場合は、親不孝であるとされてお墓を建てないことがあるというのは、私の母親から聞いた話です。そういった理由で、石だけの墓が存在するのでしょう。また、女性のお墓が存在するというのは、憶測ですが、睦雄さんのおじやおばで独身のまま亡くなった場合、そういった墓石が存在します。戒名をみないと判断は付きませんが、そういう可能性がありますね。私の先祖の墓石にも同様なものがありまして、過去帳でわかった次第です。
近いうちにもう一度訪れようと思っています。今度はお花と線香を持参してお参りしたいと考えています。殺人鬼とはいえ、もう70年も昔の話。今となっては、何が真実なのかよくわかりません。批判はあろうとも、私の気持ちとしては殺人者というより、一人の人間として短い人生を思いっきり生き抜いた青年です。結核を患い、村八分にされ、さぞかし無念であったろうと考えるのは私だけでしょうか・・・。


先日、事件と関係のある物見と一宮に行ってきました。当時の古い新聞を調べ、住宅地図をネットで購入し、物見の上村(寺川)ゆり子の自宅を拝見しました。偶然にも彼女と思われる老人が出てきましたので、失礼かと思いましたが望遠で撮影させていただきました。カメラをかなり気にされていましたが、年恰好からいって当人である可能性が高いです。
また、一宮の睦雄の姉の嫁ぎ先も訪問しました。こちらでも偶然、70前後の男性が出てきました。中島みな子さんのお子さんでしょうか。しばらく鳥居の前におられましたが後に家に入られました。また、若奥さんと2〜3歳の子供も出てきました。綺麗な方でしたが、みな子さんのお孫さんでしょうか。車でどこかに行かれました。さすがに至近距離だったので写真は無理でした。ただ70前後の男性は後姿だけ撮影させていただきました。事件から70年。それぞれの人生があるのだなとつくづく考えさせられました。被害者は当然ですが、加害者の家族、祖母やみな子さん、そして父母が可哀想で仕方がありません。
睦雄の父母も結核で亡くなったそうですが、小さな子供(睦雄やみな子)を残してこの世を去ったのはさぞかし無念だったことでしょう。山奥の大正時代の倉見。寂しい村落でひっそりと亡くなった父母。ストレプトマイシンなどの抗生剤さえあれば昭和40年代まで生きられた筈です。テレビなどの娯楽、おいしい豪華な食べ物、自動車や新幹線に乗っての旅行、今の人なら普通に経験していることをなにも知らずに亡くなった父母。その父母を慕って死んでいった睦雄。殺人者の弟をもったみな子さん。睦雄を溺愛した祖母。皆さん冥土で寄り添って暮らしていることでしょう。



みなさんはどうおかんがえになりましたか?


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