取材記録2

峠を後にして大きな道に出てから助手席の聖二(鳥取弁会話)怖かった〜なっ!」「ブレーキきかんかったで〜っ!」とか話しかけました。

すると「
分からんかっただか!?それだけじゃなかただで〜っ!」「聞きたいだか?話したろうか〜っ!」半分怒り気味な口調です。

鈍感な私でも現場を見た帰り道すがらは「神懸り」的な話しだろうとは察しがつきます。
私は「わかったけ〜岡山出るまで話すないや〜っ!」彼氏は「
津山30人殺し」の話しは前の日に口伝えとネットの「驚き桃の木20世紀」の出回っている動画見せただけで本も読んでいないし詳しいことは知りません。

53号線を鳥取方向に「軽トラ」は走ります。途中道沿いの「マルイ」で「施餓鬼」供養のためと食い物とお酒買って、奈義トンネル過ぎたところの道沿いのお墓の下で車のタイヤに「塩」かけて、デジカメにも「塩」かけて「お酒」も少しかけて。
お墓の前でしたのはたんに霊界のネットワークが墓入り口でつながっていると思い「
30人殺し」の「念」がついていればそこお墓経由で帰ってもらおうかと私が勝手に考えてしたことです。
あと、岡山で「
物見遊山」で殺人現場を現地見学して他の岡山人の霊にも加勢されて悪戯されたらと思い鳥取側なら私たちは「鳥取県人」だから鳥取人の霊が守ってくれる!とか子供じみた脈略もない発想です(笑)

私はオカルトとかあまり興味はなく霊感も幽霊を見た経験も意識してありません。供養の仕方も無知だし、霊も半信半疑です。(でも怖いです)人生経験の中の情報の中の「幽霊」の知恵くらいしかありません。

聖二
も若い時出会ったときたまに「霊的現象」な事を言ってたけどそんな過去のことなど忘れていたし「加茂」へ連れてきたのも一人じゃ気持ち悪いし心細いしまさかそんな状況だったとは思いも知りませんでした。

黒尾峠を越え「智頭」手前の道沿いの駐車場でもうここならいいと話しをききました。

聖二
によると「眞福寺」の前を通ったところからいやな気持ちになりとくに「睦雄」君の家後の前に車を止めたとき首が痛くなり左から半分をつかまれた感じ。まして私が「降りろ」と言ったときは怖くていやで、ごねたが「すぐだと思いいやいや降りて撮ったらな〜っ首つかまれてお堂の方にひっぱられただけーっ!」だそうです。
そう言えば道から下の家の犬も異常に吠えまくっていたし。なにより
聖二その話しが信憑性があったのはネットで予習したとき、そこの周辺からお堂をながしてビデオ撮影してた人がお堂の辺で撮影中は気がつかなかった変な声が入りこんでいた。つうのを思い出して思わずビビってしまいました。
それで他はっ?」と聞くと車走行中常に何かが後ろからついてくる気配があったし、私が「荒坂峠」の道を間違えたときも「こっちにこい」とか気配があったんだって。今から考えて二股で車止めてどっちに行こうか迷ったときネットの方を信用して「ネットはこっちだったけえな〜」の私の声に心の中で「違うのに」とつぶやいたそうです。
「睦雄」君の自殺現場の辺で「
何を言っているか男か女かわからないわめき声」(本人も怖くて聞く耳持たなかったみたいです)が一瞬して気配が消えたそうです。(道理で私が話し掛けても言葉少ないし「にゃーっ」と空返事ばかりだったんだ)
私的にはそこからの「下り坂」の方が怖かったですが当時その話しを聞かされていなくてよかったです。ちなみに私にはそんな霊的な気配は全ありませんでした(涙!汗!)

話しを聞き終え・・・。

「でっ、今は気配あるか〜っ?」
聖二「全然〜っ!」


聖二
は普段は「霊的」なことは100パーセント口にしないしオカルトビデオも興味ないそこいらにいるよく食うとぼけた若者なんです〜よ。(笑)



考えるに

1、仮に霊がいてこの話しから私が推測すると「貝尾」に来て初めてカメラに収めた家の「岸○」家の被害が怒ってついいてきて荒坂峠にいる「睦雄」君の霊がその霊をなだめて帰らせてくれたんちゃうやろか?

2、憑いてきたのが「睦雄」君だとしたら「お地蔵様」が帰らせてくれた??

3、お堂の周辺の被害者の墓が初めてカメラに収めた家の方なら「なんしに来た?墓は撮るな!よそ者は帰れ!見世物じゃあないんじぁ〜!」と話しがつながりビンゴなんだけれど誰の墓かは確認はしておりません。

4、荒坂峠越へをやめてもと来た道帰ってったら憑いてこられぱなしじゃんっ!?



僕が当時現場に行ったとき「70年前の時代目線」で興奮していて目に見えない周波が一致して?呼び出したんでしょう。
まだ野生に近い(笑)聖二に誰かの力が訴えかけたんでしょう。


初めから被害者の墓石は写すつもりはありませんでした。写してもネットで他の方が公開されてますし。まして「土葬」私的にこの下に被害者の遺体があると思うと気持ちが良いものではないからです。
父も早く亡くなり少しばかり霊的な思い寄せがあるためか故意にそうゆう写真は気にして撮ったことはありません。
でも今回は少しばかり移りこんでいるんですよね。そのときはきがつきませんでしたけど。
霊様どうかお許しください。





「睦雄」君の魂はまだ生きていて今後この事件に興味を持って調べる人たちに違った視点から見てほしくて私にとり憑き何か代弁させたかったんだろうか?って考えました。(HP作りながら思った。それも真夜中だったからかな)










以上が2009年11月12日の現地取材記録でした。
(数度足を運びましたがこんな体験はこの日だけでした)








「津山30人殺し」に興味をもたれてこの記事を御覧くださったすべての方に感謝を致します。









合掌








「津山30人殺し」に私が興味を持って読書、ネット検索、現地取材、HP立ち上げたまでの日にち2009.11.5 〜2009.11.18(公開)
(書き足しは序々)





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